だいぶ前に下書きに残しておいたものを掘り起こして、続きを書いてようやく公開できます。
ふぅ。。。
ネットで見てても、亜門版とジョン・ケアード版は比較されていますね。
WOWOWでやってたものをみた感想はコチラ>>
この『キャンディード』初演の時からいろいろ改定されて、バージョンが何個かあるようなのですが、ジョン・ケアード氏は原作に近いものを演出したとどこかにかかれてました。
なので、亜門さんバージョンと比べると「あれ?こんなシーンあったか?」「あれ?あのシーンがない…」と思うところがチラホラ。
紆余曲折あったキャンディードが人生について悟るシーンがあるのですが、これが全く違うので、観てて戸惑いました。
亜門バージョンでは、農園を営む質素な感じのおじいさんが、キャンディードに生きていくことと労働の意味を語って、キャンディードはいかに自分が愚かかを悟ります。
ジョン・ケアードバージョンは、「昔王であったが今は王ではない」亡霊が出てきて、昔は立派な肩書きがあった人がそうでなくなった時の、自分自身の人としての価値や人として生きている意味を語るシーンで悟るようになっていました。
どっちがいいとかは言いにくいのですが、わたしはおじいさんの方が素朴な感じで好きかなあ。
そのおじいさんがまだ出てくるのかと思っていたら、最後の歌になってたので、「あれれ?」という感じで終わってしまいました。
キャストは、亜門バージョンのアッキーがオペラっぽい歌い方きつそうで見ててかわいそうになってしまったのに対して、芳雄君はあっさり歌ってたので、この歌ってこんなあっさり歌えるのねと驚いてしまいました。
演出の違いでしょうね。
亜門版のほうが最後の曲は重厚な感じで耳に残りました。
キャストはジョン・ケアード版のほうが洗練されてた気がします。
亜門さんの場合は、ホリプロ主催だからその影響でいろんな人が混ざってたから(笑)。
東宝ですから、そんな間違ったキャストはしてきませんね。
統一感がありました。
キャンディードとは「純真」というような意味があるらしいのですが、30歳でも純真に見える芳雄君は反則ですな。
新妻さん、あんなに歌える方だとはしりませんでした。
心からお詫びしたいと思います。
お姫様(お嬢様?)なのに、戦争のせいで身寄りをなくし、娼婦みたいに扱われ、いろんな男の愛人になって生き伸びます。
自分の高貴な出自から自分の生き方が許せないと思いつつも、「きれいなもの好き」「お金大好き」みたいな感じの歌を歌うシーンがあるのですが、この歌本当に難しいと思うんです。
時にか弱い女性として、時に汚くたくましい女性として歌い上げないといけないし。
ミュージカルの人が歌えるわけないじゃんと思ってたのですが、とんでもない!!
すんごい迫力で、鳥肌立ちました。
これを聞いた男性は「うわ~~~。可愛い顔して女ってすげ~~~!!!」と思うと思うんですよ、きっと(笑)
新妻さんの歌が終わった後めちゃめちゃドキドキして、大きな拍手を送りました。
市村正親さんのヴォルテールとパングロフ先生はステキでしたが、なんか物足りなさを感じてしまいました。
なんでだろう。
楽天主義反対の人でいかに楽天主義がばかげているかを表現したくて『キャンディード』を書いた作家のヴォルテールと、楽天主義者を説いているパングロフ先生を1人で演じたのがムリがあったのかなあ。。。
見終わったあともずっと考えてたんですが、いまだによくわかりません。
舞台美術はジョン・ケアードの方が洗練されてた気がします。
宝箱が何個も入れ子になってて(マトリョーシカ?)、それがいろんなシーンで椅子になったり、ベッドになったり、馬になったりいろいろなものに使われるんです。
小道具使いが面白いなあと思いました。
2人の演出家の比較になりましたが、どっちが面白かったといわれると困る感じです。
演出のわかりやすさとか歌い方とかは亜門版が好きだったし、キャストと舞台美術はジョン・ケアードだし、どっちもいい所があり、納得いかないところありって感じでした。
松さんの『ジェーン・エア』もジョン・ケアード演出でしたよね?
『キャンディード』もWOWOWでやってくれるといいのになあ。
というか、この際2バージョンとも放送してほしいです。
そういえば、『モーツァルト』大阪でありますね。
アッキーご出演でないので、芳雄君のアマデウス観たいなあと思うのですが、その頃どこで何をしているかわからないので悩んでいます。
先行始まっちゃってるし。
行けると決まったら、当日券並ぼうかな。
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