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2008年2月13日 (水)

幸せの基準

先日、幸せの基準というのはわからないものだとしみじみ思った。

わたしの目から見ていかにも「平和で超幸せそう」と思う人が「どんどん悪いほうへ向っている気がする」と不安そうに言う。

かたや、わたしの目からみて「うわ~。大変そうだなあ。自分だったら確実にめげる…」と思う人が意外と「わたしって幸せ♪」と堂々と胸を張って高くそびえ立つ壁に向かって体当たりしていたりする。(それはそれでどうなのだ??)

結局は、幸せかそうじゃないかは本人が決めるものなのだなあ。

一番の不幸は、目の前にある幸せに気づけずにいることなのかもしれない。

今の日本においては、よっぽど自分ではどうすることもできない他からの強制力によって人生を大きく変えられてしまわない限り、どんな人でも幸せだと思う。

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コメント

どこにいても「間の悪さ」こそが人間にとってもっとも致命的で不幸だと思うよ。
と、あらゆることに対して間の悪いワシがかく語りき。
どうだ!重いだろ?
あれ?ズレてる?

キウチデンキさん>
こんばんは。
致命的な間の悪さって何だろう。。。
でも、とりあえずそれって一例ですよね。
間が悪かったとして、それを自分がどう思うかだと思いますけどね。
それで学びを感じられるか感じられないか。
おきてしまったことをグジグジ悩むか、次に生かすか。
「自分って間が悪い!」ってず~~~っとそんなことばかり思い続けてたら不幸だけど、「自分って間が悪い!けど、次はこういこう!」って思えて次同じことを回避できたら幸せ(もしくは先に幸せが待つ?)なのでは?と思います。
ま、そんなこと言ってもわたしはグジグジ悩む派だけどね。
自分を含め、目の前にある幸せに目を向けずに生きている人が多いなと思ったのさ。
幸福感っていうのは、人が自分は幸せだと信じていたら、他人がなんと思おうとその人の幸福感は誰にも犯すことができないというのは私の持論。
つまり、「幸福」はその人の中に生まれるものだということなのだ。

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